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なぜ日本ではデモが起きないのか

神保哲生 宮台真司
神保哲生 宮台真司
 高い貧困率や失業率、経済格差に抗議するウォール街のデモが、世界に広がりを見せ、この週末にはニュージーランドやオーストラリア、イギリス、ドイツ、フィリピンなどで、大規模なデモが繰り広げられている。
  
 しかし、日本では世界各地でデモが展開された15日、日比谷公園のデモに集まった人はわずかに100人程度。他国のデモの規模に比べると非常に小規模なものにとどまった。
  
 日本は現在アメリカに匹敵するほど貧富の格差が進んでいる。相対的貧困率でも日本はアメリカに肉薄して、世界で第二位の水準にある。
  
 一方で、日本では9月11日の脱原発デモに6万人が参加している。しかし、社会の格差に対しては、今のところ大規模なデモのような意志表示は見られない。
  
 日本でデモがもりあがらない理由は、社会の連帯が崩壊し、他者のために抗議行動をする意味を感じる人が少なくなっているからとの見方もある一方で、単に今、自分の周囲で起きていることに鈍感なだけとの指摘もある。
  
 これだけの格差を抱えながら日本でデモが起きない理由を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
  
神保:「オキュパイウォールストリート」が世界的なうねりになりました。日本では、反原発のデモは最近のデモとしてはそこそこの規模になったんじゃないかと思いますが、なぜかデモをしようという人があまり多くならない。この原発事故にほっかむりするかのようなことを政府がやっていて、格差はアメリカ並みでというような状況になっても、なぜか怒らない。一方でデモといえば、フジテレビとか花王に対する反韓流デモはそこそこの盛り上がりを見せるんですよ。これはどう考えたらいいのでしょうか。
  
宮台:一つは、「市民による自治」や「市民の参加」という概念が非常に弱いので、「お任せ的」政治文化のなかでデモのもつ意味が非常にひねくれたものになってしまっている。
  
 あと、僕が1985年から90年にかけて採ったデータですと、例えば、社会的な問題について自分がそれなりに見通していて、それに対して批判的なまなざしをもっていると思うのかと聞くとします。「自分は社会的な問題について見通していて、それに対して批判的なまなざしを持っている」と答える人間は、どういう人間か。対人関係あるいは等身大の人間関係をうまくやっている人間とうまくやっていない人間を比較してみると、対人関係、等身大の問題、例えば、性愛関係や友人関係をうまくやっている人間であればあるほど、社会的な問題について関心も強いし、批判力もあるんです。
  
 統計データからはっきりしているのは、対人関係、人間関係、自意識の問題に苦慮している人間は、社会的見通し、批判力が非常に乏しくなります。そうしたデータを参考に推測するに、日本人は等身大の問題で不幸すぎる。性愛関係やサークルを含めた人間関係に対して、あまりにも不全感や抑圧感を持っているがゆえに、そちらのほうに自分たちの関心のエネルギーを取られてしまっているのではないかという僕の想像が以前からあります。
  
神保:デモという行動の位置づけというか、意味合いというのは、やっぱり日本とその他の西側民主主義の国々では違うと思いますか。
  
宮台:フランスは5年前かな、初期雇用契約のCPE騒動がありました。あの時は、学生が非正規の雇用関係の中に放置される期間が長くなるかもしれない法律の枠組みが、一度通ったんです。その時に労働者たちが、学生に連帯を表明して、デモやストをやりました。そのあと、今度は移民の三世たちが主体となる暴動が起きたんです。これはデモや集会ではなく、まさに暴動でした。
  
 一般にはフランスは、ヨーロッパやあるいは欧米の国々の中でも、社会の中にデモやストや場合によっては暴動まで含めて制度化されているっていいますね。どういう意味かというと、それが市民の許容された、承認された意見表明のやり方だという風に理解されているということです。そのため、メディアもそれを正当に扱う。全然社会的な習慣が違うということです。
  
 僕たちは、選挙が意見表明の機会だということになっていますが、日本の投票にかかわる政治文化は非常に特殊です。「任せて文句をいう」という手法なので、普段は投票には行かず、不祥事があったときに、お灸をすえるために共産党に入れに行くみたいな、そういう自民党支持者の投票行動に象徴されるような政治文化が支配していると思うんですよね。投票でさえ、そのポリシーや価値を表明するチャンスとして利用していないし、そういうチャンスと思っていない。
  
神保:今回原発でこれだけの事故が起きました。多くの人が自分自身も何らかの影響を受けていると思いますし、福島の人たちがあれだけの苦境にさらされています。
  
 一方で、政府に目をやると、なんとか原発をもう一回はじめようとしている人たちが平気で跋扈していて、どう見ても自分の国の人とは思えないような振る舞いをしている人たちがいる。
  
 今、日本で「原発、やだ!」っていう市民の声が政策に影響を及ぼす次元までいかないとしたら、日本は今後も多分そうならないと思います。そういう力は日本の社会にはないということになるんでしょうか。
  
 個別の話で、例えばさっきのフジテレビの韓流とか、そういうものには反応して集まってこられるのに、もっとより普遍的な大きなテーマだと行く気がしないというのはどうしてなのでしょう。
  
宮台:ちょうど70年代後半に入った時に、学生運動家たちを、同級生たちが「モテないからやっているんだよね」というようになっていた。それと同じような見方をして、アイロニカルに梯子をはずしちゃうコミュニケーションが一般的です。
  
 例えば、東大で教えている北田暁大君が「つながりの社会性」っていう言葉を出してきました。右翼的なネタでも、左翼的なネタでも、そこでつながることができて、ある種盛り上がることができれば、ネタは何でもいい。ある人間が、右翼的なネタでつながりを求めていたかと思うと、今度はワーキングプア運動みたいな左翼的な運動で、まったく同じ人間がつながりの社会性を求めたりするところにあらわれているんだと言ったりしてます。
  
 多分多くの人がそう思っているんだと思います。残念なことに、社会的な問題があるからデモが起こっているというよりも、確かにそれは市民的なデモと言えますが、その動機、あるいはバックグラウンドにまでさかのぼると、つながりの社会性を求めるという、必ずしも普遍的な社会問題が反映しているとは言えないようなファクターがあるんじゃないかと理解する人が多いんだと思います。
  
 それはつまり、日本的な文脈なんです。デモに参加した時に、デモに参加した自分がどう思われるのかなっていうのを先取りして、自分で最初に野次馬のようにチェックしちゃうんじゃないですか。
  
神保:それは今日の本編でも話した共同体の喪失とも関係ありますか。
  
宮台:ありますね。具体的に言うと、例えば「僕」の問題は「僕」だけじゃなくて「みんな」の問題だと思えるかどうか。つまり主語が「私」じゃなくて「我々」でありえるかどうかという問題なんです。
  
 昔、大学生は「我々」でした。学園闘争の時代のその前後までとっていうと、「薄汚れた大人」と「純粋な若者」っていう戦前から続くある種の純粋性の対立がありました。また60年代半ば以降は、アメリカが北爆をやり始めたことを背景に、ベトナム戦争に対する態度をめぐる対立があり、大学生であれば基本的に「反戦平和」なんだと思えました。そのように最初に立ち上がった若者運動みたいなものを見てみると、明らかに共通前提があって、そこには「我々」意識がありました。
  
 それが80年代前半になった時点では、若者であるというだけではもうお互い分かり合えるということはなくなって、いろんな島宇宙やトライブができてきた。一番単純なのは、ナンパ系とオタク系、根明と根暗とかですよ。価値もライフスタイルも実際見ているものも何もかも違う連中が同じ世代のなかにいると、もうとても「我々」というのは無理だよということになってくるんです。
  
神保:他の国と比べても日本のデモは盛り上がっていませんが、世界はそれをどう見るんでしょう。日本人は大人しいとみるのでしょうか。
  
宮台:基本的にはそう見るでしょうね。しかし、それだけではなくて異様に鈍感だとみるようにもなっています。
  
 僕は今、たまたま厚生労働省の検討会のメンバーで、社会福祉関係の教育に関する教科書の比較検討をやりはじめました。日本の中学高校における社会科教育を見てみても、明らかに社会に関するイメージを共有するという問題設定、課題設定がないんです。だから生徒は、単に制度の名前を憶え、例えば社会保障の年金について、「賦課方式と積み立て方式の違いについて述べよ」みたいな問題に対して暗記的に答える。
  
 それもいいけど、基本的にまったく本末転倒なんです。スウェーデンの中学校の教科書を見ると、まず人権や憲法とは何かということから始まり、警察は何をしているのから入っていくんです。そのあとに家族とは何か、コミュニティーとは何か、宗教とは何かと入って行って、最後に、つまり社会の全体がどうなっているのか分かった一番最後の章に社会保障とは何かというふうに出てきます。教科書の構成自体が、いわゆる補完性の原則をそのまま体現しているんです。社会のイメージをみんなで共有したうえで、だから政治や行政にこういう問題があると考えるべきなんじゃないかとかディスカッションができるようになっているんです。
  
 日本の教科書にはその手順が全くありません。これは僕の一つの仮説ですが、社会とはどういうものであるのか、自分たちが生きている社会を船に例えると、この船がどんな形をしていて、どんな弱点があり、長所や弱点を抱えながらどのような方向に進もうとしているのかについて、共通了解が全くないんだと思います。だから船に関する、この問題をみんなで焦点化して、デモをしているっていう課題のシェアができないのではないでしょうか。

出演者プロフィール

宮台 真司(みやだい・しんじ)首都大学東京教授、社会学者
1959年仙台生まれ。東京大学大学院博士課程修了。東京都立大学助教授、首都大学東京准教授を経て現職。専門は社会システム論。(博士論文は『権力の予期理論』。)著書に『民主主義が一度もなかった国・日本』、『日本の難点』、『14歳からの社会学』、『制服少女たちの選択』など。
    
神保 哲生(じんぼう・てつお)
ビデオジャーナリスト/ビデオニュース・ドットコム代表
1961年東京生まれ。コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程修了。AP通信記者を経て93年に独立。99年11月、日本初のニュース専門インターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』を設立。著書に『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか?』、『ビデオジャーナリズム─カメラを持って世界に飛び出そう』、『ツバル−温暖化に沈む国』、『地雷リポート』など。
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。

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